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日本の寄付文化とクラウドファンディングの盛り上がりに思うこと 【第二回】

※第一回はコチラからご覧いただけます。

 

寄付とクラウドファンディングの違い

寄付文化が根付かない日本人とクラウドファンディングの親和性について、ボクなりの解釈を垂れる前に、これらの客観的な差異を見比べてみます。

※ここで出すのは「購入型」クラウドファンディングの一例です。

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パッと思いついたことを比較してみました。寄付をディスりたいわけではないのですがw
寄付の特徴としては、いちど寄付してしまえばその後の経過や最終的な目標達成に責任を持つ必要がないということ。運営はプロにお任せして、自分にしかできないことに従事するというのは社会機能を維持するうえでも重要です。凄く合理的。ただし、それ故に(団体の運営者が聞けば激怒するかもしれませんが)、寄付の本来の目的や対象者への支援というより“制度に寄付している”というのが実態であるように思えてしまいます。
一方、クラウドファンディングの特徴は、微に入り細に入り全てが明確で透明であることでしょう。寄付する対象者の顔が見えるし、途中経過の報告もある。なにより、当初の目標が達成されればプロジェクト立案者と共にその喜びを共有することができるという得難い経験ができます。もちろんネガティブな指摘はあって、よく聞かれるのは詐欺や商業主義的手段として利用されるのではないかという点です。

「現代のパトロン」クラウド・ファンディングの落とし穴 | 瀧口範子 | コラム&ブログ | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

また、お金が集まってもプロジェクトが頓挫する可能性がゼロではないこと。その場合、寄付したお金は戻ってきません。小規模な投資と言うとイメージしやすいかもしれません。

 

当事者意識が寄付文化のあり方を変える

こうやって見比べてみると、寄付とクラウドファンディングの違いというのは当事者意識の有無が大きいように思えます。
日本における寄付金の規模が拡大しないのは、なにも寄付に価値を見出せないのではなく、募金を募る側が寄付する人の共感や応援という善意に少々盲目的だということではないでしょうか。現に東日本大震災の寄付金はどのように使われたのか、その実態を把握している人はごく一部でしょう。寄付した人の気持を真に慮るのであれば、誰もがアクセスできるように情報公開すべきです。
そんな状況にあって、カウンターのごとく登場したクラウドファンディングが、透明性を良しとし、SNSの影響力も大いに活用して支援者との結びつきに重きを置いているというのは、喜ばしい潮流ではありながらもなんだか皮肉です。

いまだに日本人は、株や先物など、お金をお金そのものとして扱うことに嫌悪する傾向がありますよね。ただそれも、お金に対する日本人の様々な面の一部なだけで、投資がどういう結果を生むのかが明確で、かつそれが社会貢献につながるという本来の目的が理解できれば、投資に対する見方は変わるはずです。
寄付への認識も同じではないでしょうか。寄付の結果どういう結果になるのかが今後明確な形で公開されれば、人間に善意がある以上、寄付への積極性と動機付けは増すことでしょう。そうなったとき、日本人のケチな一面というのは今ほどマイナスなイメージで語られることもなくなると思います。

今その最前線にあるのがクラウドファンディングだというのがボクの認識です。
もちろん、クラウドファンディングは誕生したばかりで、社会的認知がまだまだ低いこと、そしてWeb上で展開するサービスである以上、ネット利用者以外にリーチしづらいことは大きいハンディキャップです。
そういった環境にあっても総支援流通額は右肩上がりに伸びており、寄付文化へのクラウドファンディングが果たす役割というのは、確実に重みを増しています。

以上、日本の寄付金のスケールの小ささに端を発した今回の記事、強引な面は否めませんが今ある情報を元に自分なりの解釈を展開してみました。

寄付文化のイノベーションはもとより、善意の流通が活発になるというのはとても素晴らしいことだと思うので、クラウドファンディングにはこれからも頑張ってほしいなと思います。

 

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